パソコントラブル 偽装結婚
8 月 16

今週、大学時代の友人が急死しました。

風呂に入っているときに心臓に来たそうです。特に持病などはなく残念なことです。

ここ数年、結構ぽつぽつとこのような不幸が増えてきています。

私生活、社会生活ともに、ストレスや過労のマネジメントは加速度を増して重要になってきている気がします。

PC、モバイル、テレビ、その他電子機器に触れている時間が長いほど、なんとなく頭がボーっとします。そして、思考力や感情の幅が少なくなると思います。

ゲームというのは一般的に左脳を使うそうですが、ゲームのやりすぎに注意と言われる原因は、目の疲れと共に、左脳の偏った使い方による感情や柔軟な思考力の低下だと思っています。そして、PCも、その作業においていろいろ思考はしますが、おおよそ同じような気がします。

いずれにしても、ずっと同じ体勢、同じ画面に向かって考え続けるということが、血流やら神経やらを偏らせていくんだと思っています。

何せ、やりすぎると頭が凝りますから!

つぼ押し棒なんかで頭を押すと気持ちよかったりして、なぜか頭の表面というか表皮がへこみます。

 

そういうときは運動をしようとよく言われていますが、血流を変え、神経を活性化することは間違いなく良いことです。私も実は結構深刻な鬱病を患った時期が1年ほどあったのですが、実体験でも間違いなしです。
ただ、体に運動の耐性がないと、運動をすること自体にストレスを感じ、運動を続けることに努力が必要という心境になります。

これが現代人のストレスと疲労の根源ではないのでしょうか。
テレビで当たり前のように流すことをどうかと思う陰鬱な事件なども心騒がす原因になりますが、それよりこっちというのが私の考えです。
多くの電子機器、多くの情報に触れているうちに、体の運動への耐性がなくなり、気持ちと共に心身内向きになっていくと思うのです。

どのようにしたら運動をするように自分を持っていけるか、運動を続けることを何の目標をもって実現するか、そういう視点に立って体調管理を考えられれば、これ簡単ではないですが、もっと器用に生きられる気がします。

マラソンブームはここですね!

ストレスをため、ストレスを発散するためにバーっと騒ぎ、酒を飲み、武勇伝を語り、いばり、愚痴を言い、お金を使い、そんな後は、またストレスをゲージのように溜めながら仕事に向かう、私生活を送る、そんな算数のような生活ロールプレイングゲームのような生活サイクルを抜け、曖昧なものを曖昧なまま捉えられるような自然リラックスした状態で自身のバイオリズムを感じていきたいものです。

企業労務の場面で、疲弊しきった従業員と向き合うことが過去に多くありました。
みな口を揃えて言うことは、仕事は仕事、プライベートはプライベートです。
情報量の少なかった二昔前くらいなら、そのような日本人らしい仕事観でやってこれましたが、今やプライベートと仕事を共生させていかねば、どうにも遣り繰れないのではないでしょうか。

仕事においては遊び心を、プライベートにおいてはマーケティングの視点を、そんな感じです。

そして、自分がどうなっていきたいか常に近い将来を具体的に想像する、それに向かって生活の中で好きな時間を見つける、その中で自分の重要パーツである仕事への「好き」を育てるために人とコミュニケーションし、本を読む。
決してPCの中の一方通行の情報、顔の見えない表情のないコミュニケーションばかりで自分の生活を埋めてはいけません。

今回の友人の死は、ストレスや過労が原因だと決まっているわけではありませんが、なんかそのような気がしてなりません。

そして、そのような時を急に迎えることを日々想像しながら生きていくことはできませんが、せめて日々ストレスをニュートラルに戻すような自分なりの「曖昧な」方程式を大切にしたいものです。
 


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written by M.Asakura \\ tags: , , , , ,

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